こうして私達はきょうも燻される。

いわゆる「いい年」になると人生のことを考えたくなるのかもしれない。

それまでも進路だったり、どんな職につくのかだったり、ある程度人生について考えるタイミングはある。でもそれは大半の場合はある程度方向性が絞られた話だ。多くの人は「大学に行く」というのは既定路線だったり、「仕事につく」というのは当然のことだったりしていて、結局その中で「どれを選ぶか」という話になる。(もちろん、だからラクだとか、大した選択じゃない、というつもりは全く無い。むしろ人生を左右するメチャクチャ大事なことだと思ってる)

いま私が直面しているのは、もっと漠然とした「人生」をどうしようかという話。
困ったことに、アラサーくらいの歳になると自由が効かないようでいて、その気になれば取れる選択肢というのが増える。
今の会社に残る? じゃあどうなりたい? 管理職? それとも現場のスペシャリスト? それとも違う部署に異動したい? それとも転職? ならどの会社に? 同業他社? それとも違う業種? あるいは独立? はたまた、今の年齢だったらまだどこか学校へ行って学び直すというのも間に合うか? エトセトラ、エトセトラ……。

ドン詰まったアラサーの人生というのは、さながら火事の起きた家だ。煙に巻かれて何も見えず、息ができなくなる。火は無情にもあちこちに回り始め、煙は厚さをましていく。

こうした状況の中で、求められるのは迅速で的確な判断だが、実際の人生において取られがちな行動は「酔っ払う」ことだ。
酔っ払う手段はアルコールだったり、薬だったり、ある種のナルシズムだったり、あるいはそのすべてだったりする。
飲み屋で「結局人生ってのは死ぬ気で行って出たとこ勝負なワケ」などと行っている男がいたら、酒とナルシズムの両方に酔っているタイプだ。多く男のナルシズムには「死」がつきまとうからだ。

こういう話をすると、「バカだな、そんなことやっていないで早く行動すればいいのに」などと思うかもしれないが、実際はもう少し複雑で、先程のたとえ話で言うならば、

「水を組んでこようか? いやでもいまの体力じゃ組んで運べるか怪しいな、水も出るかわからないし」とか、「もう少ししたらスプリンクラーが作動するはずだから、それまでもう少し我慢しようか」とか、「いうてこの部屋まで火がまわってくる頃にはオレも爺さんになってるだろ」とか、色々な考えが頭をよぎり、結果として「じゃあ身を低くして、酔っ払いましょうか」となるのだ。

こうして取り柄のないアラサーはきょうもボヤの出た家で、うっすらと煙に燻される。

多分明日も。